プロフィール

雪音

はじめまして!山本雪音です。

わたしが19歳でなぜドテラを始めたか、ドテラでどうなったのか、現在から過去に遡り綴っていきます。

今のわたし

生理痛なし!喘息なし!生理不順なし!卵巣嚢腫なし!肌荒れなし!心の悩みもなし!

身体が元気なので、心も豊か。念願だった妊娠もすんなりと叶い、愛おしい息子と夫と3人で楽しく心地よく穏やかに暮らしています。

生きてて良かった〜幸せ〜ご飯美味しい〜が口癖です。

ですがこれは「いま」の話。

1998年

心臓に穴が開いた状態で生まれてきました。
病名は詳しく知りませんが、普通とは違う血液の流れがあるとかで、肺炎や喘息になりやすいんだとか。

生まれてすぐ肺炎に。記憶はありませんが、3歳ごろまでは入退院を繰り返していたそうです。

その後もずっと喘息で苦しむことになります。

苦しかった19年間

人生の中で、人にも言えないようなことや苦しいことって、タイミングは違えどみんながあると思うんです。わたしはそれが子ども時代でした。

母親の情緒が異常なんですね。

5人兄弟、わたし以外全員男!本当に仲良し兄弟で、わたしは彼らの存在にすごくすごく救われてきました。

いつだって幸せだったし、自分が可哀想だと思ったことも一度もありません。兄弟がいて、助けてくれる友達やその親さんたちがいて、感謝でいっぱいでした。ここに嘘はありません。

でも本当はやっぱり苦しくてしんどくて辛かったんだと思います。

お前は可愛くない、勉強ができてもその性格じゃあな、生んだことを後悔した、縁を切ります、幻滅した、お前には感謝がない、生むんじゃなかった、養ってもらう分際で、

なーんてのは常套句。もはや通常運転でなんとも思わなくなっていました。と言いつつも、ちゃんと刷り込まれていて、こうやってスラスラ思い出されるんですね。

200通、300通と暴言ラインの通知が鳴り止まないことなんてよくあること。

家事も歳の離れた3人の弟たちのことも、ほとんどわたしがやる。やらなければ理不尽にキレられる、何かを取り上げられる、外出禁止になる。それが嫌だから、バイトしながら家事をしながら弟のこともしながら成績も常に上位で完璧にやる。

わたしにとってはそれが当たり前だったんです。
家庭内って閉鎖された空間だから、周りと比べられないですよね。異常なのか正常なのかわからないんです。しかもね、親のことってどうしようもないんです。一緒に暮らすしかないし、そこに帰るしかない。

幼い頃からクールで大人びていたと思います。兄弟の前でしか自分を出すこともできず、割と静かで暗かったんじゃないかなと思います。いつも気が張っていてツーンとしていました。

違和感

中学生、思春期ですね。周りの子たちの親の愚痴は、とっても優しい。「うぜ〜」とか言いながらも、親さんのこと好きなんですよね(笑)

でもわたしが母のことを話すと静かになる。その反応を見て「あれ?なんかおかしいのかな?」と気づき始め、あまり話さなくなりました。

本当に仲のいい子だけに話していたある日、「雪音の親、さすがにやばくね?」と言われました。他人の親を子ども本人に向かって「やばい」と言えるなんて相当なことなんだろうと。

違和感を覚え始めたのが中学生でした。

とはいえどうにかなる話でもないので、いかに怒られないように平和に暮らしていけるかがテーマ。母の対処がうまい兄に色々教えてもらいながら過ごしていました。

兄と父がいなくなる

わたしが高校生になった頃、兄が結婚して家を出ました。離婚して父も出ていきました。

母は特にわたしに異常に執着していたので、2人がわたしと母との間のクッションになってくれていたんです。そんな存在がいなくなってしまった。

なのでもう常に直接攻撃されるわけですよね。兄も父も定期的に電話をかけてきてくれるので話は聞いてもらえますが、母の人間性が変わるわけではないので状況は変わりません。でも聞いてもらえるだけでも心強かった。

高校生から19歳までが人生で一番しんどかったです。

生き方を考えた

私たち人間には変えられないものが2つだけあります。

  • 生年月日
  • 育つ(育った)環境

子どもは無力なので、施設に引き取られたとしてもね、育つ環境は選べないもの。育った環境も過去のことなのでどうしようもありません。

だったらね、考えたって仕方ないんです。「なんでわたしは」とかさ。

だからと言って、絶望したり諦めるんじゃなくて!「どうやって生きていくか」に目を向けたんです。

わたしの逃げ道

そんなわたしが気がついたのが「美味しい」という感情。逃げ道は「アイスを食べる」こと。

馬鹿馬鹿しいかもしれませんが(笑)
暴言や人格否定、叩かれたり、理不尽なことを言われたり、そんなことをしてくる人(母)の言葉や行動を気にするよりも、アイスでも食べて「美味しい」と感じている時間の方がよっぽど、いや100億倍価値があるって思ったんです。

子どもに対して「生んで後悔した」って平気で言えるような人のために、わたしの時間を使って振り回されるのってめちゃくちゃ無駄だなって。わたしが損する理由がないなって。

高校生になってから謎にご飯が与えてもらえず「ママのお金で買ってきたものだから!」と、弟のご飯は全部わたしが作るのに食べてはいけないようで。なので「美味しい」がより幸せだったんですね。

「美味しい〜♡」
って感じながら汚い言葉使えないし、恨むとか憎むとかもできないんですよ。心地よい感情を持つその瞬間は、私たちはどう頑張ってもマイナスにはなれないのです。

この「美味しい」をきっかけに、ないものよりもあるものに目がいくようになりました。感じることや、感覚(五感)ってすごいんですね。

わたしの体調

初潮からずっと生理痛が酷かった周期も安定せず、毎回顔面蒼白な生理でした。

喘息も年々酷くなってるような感じ。
「予防のために吸入薬を毎日しましょう」と病院で言われやっていましたが、全然普通に喘息が出るという…シンプルになぜ?でした。

病んだりすることは特になかったですね。母がこの世でいちばん怖かったので、母以外に多少何か言われようとマウント取られようと、えげつない母の言葉に比べればそんなの可愛いもんでして、全く気にならなかったです。

バイトを頑張った

高校1年生の9月からバイトを始めました。

我が家は兄弟が多いので、スマホ代は自分で払うことになっています。田舎なのでスマホを持つのは大半が高校生から。あとは大学に行きたかったので学費、岐阜は車必須なので免許取得や車の購入費用、などなど先を見越してたくさん働いて貯金していました。

テスト期間中も休みません。学校終わって家事やら弟のご飯を作って、バイト行って、帰宅したら家事をして、テスト勉強して、みたいな感じでした。楽しかったので苦ではなかったです!

とてもいいバイト先でした。結局7年働いたかな。

そして高校卒業するまでの間に100万貯めました!お金を自分で稼ぐって楽しいって知ったときですね。わたしがお金大好きなのはここがスタートです。

大学

歳の離れた弟が3人いるおかげで、子どもが本当に大好きで、保育士になるのが小さい頃からの夢でした。そのためにどこの大学に行くのかも小学生の頃から決めていて(笑)。

そのために勉強もずっとしていたんです。もともと勉強自体がとっても好き。

100万貯めたおかげで奨学金も使わず、入学金も学費も納入。車の免許も入学前に取得し、車も偶然知り合いから安く譲ってもらいました。

大学生になって始まったのが謎の毎月母に1万払うルール。大学行って、相変わらず家事も弟のご飯も全部やって、バイト行って、でお風呂とベットしか使わない上に安定に食事はもらえないのになんの1万なんでしょうか。その謎は解明されていませんが(笑)払っていました。

ある日の講義で人生激変

学びたいことを学べるのはとても楽しかったです。でもある日の講義がターニングポイントとなります。

今日は虐待の話です。毎年この講義をすると、数名、顔色の悪くなる人が必ずいます。虐待を受けている人には苦しい話です。苦しくなったりしたら我慢せずそっと廊下に出て構いません。わたしは前から皆さんの顔がよく見えるので、すぐにわかります。また、学校在籍のカウンセラーもいるので、活用してください。

というような話から始まりました。

雪音

へ〜〜〜そんなふうになっちゃう人もおるんやな〜〜

わたしは全然他人事でした。

でもいざ授業が始まると、段々と息苦しくなっていきます。前を見れませんでした。なんとか耐えていましたが、涙目で長い講義を受けました。

そこで初めて「虐待されていたんだ」と気づいたんです。

いわゆる典型的な、性的虐待やボコボコにされるような身体的虐待しか知りませんでした。それらに加えて精神的虐待があります。話の中で、親の発言や行動、子どもの気持ち、状態がドンピシャで。まあ割とボコボコにもされていましたが、わたしはそれも「普通」だと思っていたので。

まさか自分が該当するなんて思ってもみなかったんです。でも今思えば、友達もその親さんも何も言えなかったんだなあって。わかりやすい身体的虐待ならまだしも、他所の家庭に口出しって難しいですよね。

講義中は苦しくなりましたが、いつまでもくよくよしていません。どう生きたいかを大事にしていたから、むしろ心が軽くなっていたんです。

わたしはこれまで「逃げられない」と決め付けていました。弟3人が心配だった。家事も全部わたしがやっていて、母よりもわたしと長く長く過ごし姉に育てられたような子たち。母がわたしにぶつけているモノが、わたしがいなくなれば弟たちに向かうのだろうと。

でもね、
あ〜今までわたしは何をそんなに我慢してきたんだろう
逃げてもいいんだ
しょーもないな〜

で、その講義後、「わたし大学やめる」と友達に告げ、担任的な人とアポをとって話をしに行きます。行動力(笑)「自分の人生を生きていいんだ」って思えたんですね。

キーパーソン

理由を含め簡単に辞めたいことを伝えました。でも、ここから何時間も何回も話をする事になります。

どういう幼少期を送ってきたのか、親さんはそんな言葉を使うのか、色んなことを聴かれ、答えます。ちゃんと他人に話したことがないので、段々としんどくなってきて涙が止まりませんでした。

感情が冷めていたので、外で感情が高ぶることがなかったんです。人前で息ができないほど泣いたのがこのとき初めて。

何時間も話した後にこう言われます。
「それは虐待ですよ」

虐待を受けている子はみんな必ず、もう絶対に、「親には感謝してるんだけど」っていう前置きがくるの。雪音ちゃんもそうよね、「感謝してるんだけど」「わたしも悪かったんだけど」がないと話せない。

無意識でしたが、本当にその通りで。「お前には感謝がない」「わたしに養ってもらっているくせに」と十数年言われ続けてきました。

辛かったね、本当によく頑張って生きててくれた、ありがとう

この言葉で完全に泣き崩れてしまって。
話を聞いてくれる人はたくさんいて、本当に恵まれてきました。でもきっとナイーブな話題で周りも難しかったと思う。これまでの自分が救われた感覚でした。

実は小学生低学年頃だったかな、家でひとりだった時に○のうとしたことがありました。そのときに特別嫌なことがあったわけではなかった気がしますが、なんかふと突然、もう嫌だなって。楽になるのかなって。泣きながら自分に包丁を向けたんです。
でもやめました。大好きな兄弟もいて、夢もある。わたしが○ぬ筋合いないし。早く大人になりたいな〜。

誰にも話したことはないけれど、そんな過去もあったからか、泣いて泣いて嗚咽も止まらず。

わたしの初めての
「生きててよかった」なんです。

話し合う中で色々教えてもらいました。

  • 母は外でいい顔(完璧な自分)をするので、家でそのストレスを爆発させるタイプなのね
  • 「感謝してるんだけど」なんて要らない!それは子どもがいつか勝手に思うことであって親が感じさせることではないんだよ
  • 養うのも教育を受けさせるのも親の義務。子どもがそれを気にする必要はありません
  • 20歳になったら実家から戸籍を抜くといいよ
  • 母からのLINEなどは消さずに必ず残しておくこと
  • 大学を辞めるのは未成年だと親の許可(サイン)が必要

大学の人間としての立場なら「休学にして、いつでも戻ってこれるようにした方がいい」ってやっぱり言うんだけど。ひとりの親の立場としてなら「大学にいたこと自体消えてしまうけど除籍という方法なら親の許可なくできるよ」って言います。

親の許可を得て休学や退学は母が絶対に許してくれないでしょう。だって理由が母だし、そんなの絶対に無理なんですね。なのでわたしとしては除籍でと決めました。でも、一応色々な大人の意見を聞いてみます。

ほとんどの大人は大学を辞めることに反対でした。
みんな口を揃えて「もったいない」と。「勉強もバイトも真面目にやって、ちゃんと稼いで貯めて自分の力で入学して、誰よりも頑張ってきたのにもったいないよ」と。
父は「いくらあったら大学に通える?」と。例えば一人暮らしをして通うということですね。お金の面での協力をするよと。

でもひとりだけ「いいと思うよ」と言ってくれた人がいました。「確かに頑張りを知っている分もったいないって言いたくなるけど、そんなに辛いなら逃げたっていいじゃない。こんなに頑張ってきたんだから、もう自分で決めていいんだよ。雪音ちゃんの人生だから」

何回も先生と相談し、結局除籍を選択しました。

完璧な家出計画

実家にいながら除籍するなんて無理ですし、わたしはもう逃げていいんだと思えていたので、家出を計画します。19歳です。

既に家事もお金の管理もできているので、家出してもまったく困らないというのは助かりました。ある意味母のおかげです。

学校に行っているフリして不動産屋に行ったり、お金の計算をして働いて貯金して、家具や家電を買ったり、ゴミ袋に服を詰め込んで詰め込んで捨てに行くフリして新居に運んだり(笑)
母はとても鋭いのですが、わたしの完璧な家出計画には気付けなかったようです。

親に買ってもらったもの(大きい家具くらいだけど)は全て置いていきました。入居費用や家電などで40万くらいだったはず。田舎で助かった!

そしてある平日、家出決行です!
学校に行くフリして大きな車を借りてきて、猛スピードで車に詰め込みます。

家という場所が初めて、落ち着く所になりました。同じ屋根の下に母がいないというだけで心が休まる。

家出しても変わらなかった

快適さは段違いでした。でも結局は逃げただけなので、現実は何も変わらないんですね。

法律上、親子の縁は切れません。そして当時未成年だったので警察に連絡がいけばそれで終わり。弟のこともあるので、結局縁は切れませんでした。

一緒にいないおかげで攻撃は減ったものの、成人式も結婚するときも、母のおかげでいい思い出ではありません。電話でひたすらキレられ言い逃げ+鳴り止まない暴言LINE。

毒親の定義は色々ありますが「子どもの人生を生涯にかけて邪魔をする人」みたいです。

言い返さない、とりあえず謝る、をずっとし続けていたことがダメだったんです。でもそうやってやり過ごしてきたから、言い返すという思考がなくなってるんです。だから言われ放題

結局わたしが問題なんです。物理的には楽になったけれど、すぐには変われませんでした。

夫とのこと

彼との出会いも大きなターニングポイントです。

アスペ感強めの彼ですが飽きなくて面白くて、過去にお付き合いしていた人たちにはできなかった、兄弟以外で初めて素の自分でいられる存在でした。

だけど色んな壁をたくさんたくさん乗り越えてきました。二度目のどん底です。

彼の私生活で色々あり精神的にかなり落ちてしまい、その影響で自閉症スペクトラムの特性もより強く出てきます。自傷や他害もあり、叫び、泣き、「死にたい」と言うばかりの毎日。

人生で初めて、わたしも心を病んでしまいました自分が自分じゃないみたいに、どこかで俯瞰してるんです。物凄いキレ方をして、胸ぐらを掴んで(怖っ。笑)、精神的に限界でした。

彼は円形脱毛症を再発
わたしは生理が2~3ヶ月に1回程度に。生理痛もより重たくなり、常に微熱太る

なんとかせねばと。このままでは彼は本当に命を断つかもしれない。

彼は精神科を受診したいと相談してくれました。

わたしはわかっていました。処方される薬の種類も想像ついたし、それを弟が使っていて全く効果はなく副作用がしんどかったこと。

でもわたしは連れていきました。
想像通りの薬が処方され、長い待ち時間でも診察は数分。何かが解決されることはやっぱりありませんでした。

薬では根本的に変えられないことを再確認。わたしも、彼も、本当に本気で変わりたいなら違う選択をしなければと。

本当に良くなるために

薬ではない選択って何があるんだろう。どうやって良くなったら良いんだろう。そう感じていても、手段がないんです。知らないんです。

当時は植物療法や自然療法存在さえ知らない状態。たくさん調べました!

でもね、違和感のあるものが多かったんです。腹落ちしないって言うのかな。その製品が良いか悪いかは一旦置いといて⬇︎

  • 厚生労働省が認めた!〇〇

(添加物の知識はもともとあったので)これだけ添加物認可してるところだけどねって感じ。

  • これを飲めば良くなります!健康になります!

薬飲めば治るから!と同じ。なんか他人や何か任せで投げやりな気がして。

  • 全額返金保証!

ありがたいっちゃありがたいけど、アピールがそこってどうなのかな

でね、そんなときに偶然!ドテラの話を教えてもらったんです。

  • エッセンシャルオイルの品質の高さ(製品力)
  • 生活習慣でしか変わらないからそこが軸となる考え方+取り入れ方
  • 誰も損をしない仕組み

これは面白いぞと。そして「生活習慣でしか良くならない」というのは意外と盲点じゃないでしょうか。薬や何か優れた製品が治すのではなく、自分の身体は生活習慣を良くすることで、自分の身体の機能が治すものなんだと。

今まであった違和感がドテラではありませんでした。すごく納得したので迷いはありません。すぐに登録してドテラのある暮らしをスタート!

変わった!
これまで、嫌なことがあるとアイスを食べて「美味しい」という感情で誤魔化していました。それもたまにはいいけれど、たまにのご褒美にして…♡
直接脳に働きかけるエッセンシャルオイルで、その都度感情をニュートラルに戻していく、消化していきました。

まずは自分に使った

自分を整えることを最優先!
当たり前じゃない?って思う。整ってないのに余裕がないのにしんどいのに、他人の世話なんてできません。彼のことも良くしたいからこそ、まずは自分のために使いました。

ドテラをスタートしてすぐ、生理がきたんです。本当に驚いてトイレで叫んだのを鮮明に覚えています。

変わった!
2~3ヶ月に一度の生理だったのが、38→34→32→28周期と安定。正常の範囲内での生理周期になりました。
酷く重たい生理痛も、薬がなくても過ごせる痛み→温めれば大丈夫な痛み→女性ブレンドCCで和らぐ痛み→痛くない生理へ。

変わった!
喘息については、呼吸サポートEAですぐに落ち着く→喘息になりにくくなる→年に一度吸入薬を使うことがあるかないか程度(ほぼ喘息出ない
慢性鼻炎も消えて、酷かった花粉症も段々と薬が入らない程度→花粉症ダメージほぼ無し

自分の体が楽になるにつれてわたしの心にも余裕が生まれます。そして体感もあるからこそ、彼にも使いました。

その他、彼自身のこと、彼との関係性、お金、様々なこと全てを整えるのに2年かかりました。

2年間の気づき

2年も?!って思うかもしれません。
でもね、年単位でしか人は変わりません

例えば不調だって、わたしが生まれてからずっと積み重ねてきたもの。わたしが母に何も言えないのも、そうやって積み重ねてきたから、すぐには変えられなかったように。「何か」であっという間に治せるはずがないんです。目には目を、積み重ねには積み重ねを。笑

本当にすべてが整ったのが2年後でした。もはや2年ですべてを整えられたのが早いと思っています。それくらい、この2年に価値を感じているからです。

変わった!
彼に関しては、パニックや暴れる頻度が段々と減っていきました。ずっと外食や惣菜だったからか毎日下痢→良い便。毛穴が目立つ肌→毛穴が締まり綺麗な肌。自己否定→自分を信じる勇気。浮き沈みの激しい心→香りでコントロール…書き切れないほどある!

そしてある日、彼が放った言葉をわたしは忘れられません。

わたしの使命はここから始まる!
「生きててよかった、もう死にたいなんて言わないよ」

変われた理由

本気だったからです!
何事も気持ちがないと動けないと思うな。

わたしは子どもがほしかった。若いうちに出産したかった。
でも生理痛に生理不順、精神状態など、自分をどの角度から見てもとてもじゃないけど妊娠できると思えなかった。

妊娠できてたとしても不調のままでは不安しかないですね。人ひとり産むということは、その子の人生を始めてしまうということ。「妊娠」に囚われて「責任」を忘れてはいけません。

体の不調は心を揺さぶります。わたしの母も根っから嫌な人ではなく、本当は優しくしたい気持ちもチラッと見えることがあります。母の体が健康なら、満たされない気持ちも改善されていくだろうと思います。

妊娠できない理由は先天的なことを除けば、基本的にパートナーそれぞれに原因があります。食事の改善だけでは無理だったけれど、ミネラルとLLVをプラスしたら奇跡の年齢で妊娠したというのはドテラではよくある有名な話でして。
ね!すべては生活習慣なんです。

ドテラでなんとかなったのではなく、ドテラを取り入れたことで生活に対する意識が変わったこと。そして当たり前の習慣にできることで、毎日普通に継続できること。その積み重ねで心身が段々良くなった。ただそれだけでした。もちろん科学的にも根拠はありますけどね♩

妊活

生理痛がなくなったら妊娠するから、今は準備をする!と始めたドテラ。すべてを整えた2年後、妊活を始めます☺️
ちょうど中国でコロナが〜って言われ始めていた頃です。

結果、すんなり妊娠できたのですが、セックスって大事だなって思いました。いや本当に真面目な話!

不健康だと交感神経優位(=張り詰めている)なので、それこそ男性なら勃起不全になったりします。性的興奮は緩んでいることが大切!健康であることは大前提!

そして、ママとパパになる2人がセックスを楽しむこと。超重要。大した知識がなくても行為はできるだろうけど、本当に学んだ方がいい。書籍紹介でオススメ載せておきます!

いちばん早く身体を緩めてくれるツール(=香り)で、雰囲気を高めること。人口香料はダメだぞ〜

タイミングはもちろんですが、様々なことが関係しています。一度セックスや身体を見直すと良いと思います。

彼の不調が酷かった時期は、それこそ性的興奮なんてできなかったので行為自体あまりできていませんでした。なので健康になって避妊を辞めたけど「セックスがセックスでしかない、こりゃあかん」となりまして、素直に「どうしたら気持ちいい?」というところですよね。
恥ずかしい話ではないんです。そういう話ができるような関係性を築くことが大事です。

ぎこちないセックスで妊活を始めてから、楽しいセックスへ。半年後に妊娠でした。2人で泣いて喜びました。

ただ、卵巣嚢腫がありまして。希望する産院では受け入れてもらえず、大きい病院で産むことになります。腫瘍=腫れ物なので良いものも悪いものも腫瘍です。

19歳の頃、生理が全然こなくなったときに一度婦人科で診てもらっています。そのときに卵巣が腫れている(4cmくらい)と言われました。その後は診てもらっていないので、整ったときも腫れていたのかは知りません。が、妊娠初期にホルモンの関係で卵巣が腫れる人が一定数いるらしい。19歳のときの腫れがそのままだったのか、妊娠によるものなのか、それはわかりませんでした。

妊娠中期、後期へと進むにつれて卵巣の腫れは引いていきました。

安産スピード出産

もういつ生んでも良いよ〜という時期に入ってからは、毎日女性ブレンドCCを三陰交に塗っていました。

生理痛が酷すぎて痛みに慣れていたからか陣痛に気づけなくて、破水して病院へ。CCを塗って行きました♡子宮口8センチ超えでいきなり分娩台。

「ねえ、これは陣痛ずっときてたはずだけど…痛かったでしょう?」
「…わかんなかったですねえ〜」2人目は気をつけます!

「山本さん、すっごい良い香りするね〜」
「わたしも思ってた!何使ってるの?」

さすがに病院ついてからは陣痛もかなり痛かったけど、助産師さんたちがわたしの香りでキャッキャ盛り上がる盛り上がる(笑)産後病室に戻ったあとも、どれどれ〜?って見にきてました。

そんなこんなで2月5日深夜1:11に出産。
感動して泣くつもり(←)だったんだけど、神秘的すぎて茫然としてました(笑)

出産での出血量が多くて鉄剤を処方されていましたが、鉄剤は便秘になったりするから、こっそりマイクロプレックス飲んでました。自己責任でね。すぐ数値戻って「あれ、早いね」って医師が言ってた(笑)

ママになってからの変化

自分が親になって改めて、これまで母にされてきたことが異常だな〜と思います。

そんな産後のある日、事件がありまして。息子のことでどうしても、なことがあってね。

変わった!
人生で初めて母にはっきりと物申したんですね〜22歳でやっとできた。

暴言連発でいつも通りめちゃくちゃ言われましたが、毅然として冷静に。

もう縁を切ります、これで着信拒否します、弟とも関わるな(謎w)

色々言われましたが、「ん、じゃあね〜」で終了。「やめてください」なんて言ってもらえるような親子関係築けてないだろってね。母もびっくりだったと思います。いつもはとりあえず謝ってきてくれた娘が、意見を通し謝りもしないなんてと。

わたしはとってもスッキリしていました。意見を言うのってこんなに簡単なことだったんだって。今まで自分は何をそんなに怖がっていたんだろうって。

その後SMSでめちゃくちゃに言われますが(先生に言われた通り)スクショだけ残してサッと閉じました。

それまではね、何か言われると気にしてないつもりだし傷つくこともないんだけど、その日1日とっても憂鬱で気分が沈んですごく嫌だったでも、その日を境に、何にも気にならなくなりました自分でもびっくり。

まあ結局、今も関わってはいます。アロマタッチもしに行ったり。

でもパワーバランスが変わりました。わたしが上になったとかではなくて、1人の人間として尊重してくれ〜みたいなね。あとは本音を言えるようになりました!ついこの前も初めて「嫌!」って。いつも面倒だから「いいよ〜」って言ってたんだけど、初めて断ることができました

みんな変わることができる

少しずつ、少しずつだけど、わたしも変化しています。

すぐにあった変化もありますし、2年かかったこと、5年目になってやっと変わったこともあります。

彼や母とのことがわかりやすい例だと思いますが、「自分が変われば相手も変わる」んです。この5年間で身をもって学んだことです。

身体や心などで良くしたい相手がいるのであれば、まずはあなたが良くなってください。
大切にしたい人がいるなら、まずあなたを大切にしてください。
幸せになってほしいと家族に願うのであれば、まずあなたが幸せになってください。

相手はあなたをよく見ています。子どもは親の背中を見て育ちます。あなたの思考、言葉、行動で、相手は簡単に変わります。

そして、わたしの過去からもわかるように、年単位でしか人は変わりません。でも逆に言えば、年単位で人は必ず変わることができるのです。

年単位の努力は難しいと思うかもしれませんが、みなさん読み書きができますよね。小学校も卒業していますし受験勉強も必死にやったと思います。子どもの頃から年単位の努力はできています。だから今もできます。

自分を整えた先に、見える景色があります。その景色を見ることができる人を増やしたい。

すべての子どもが安心できる世界を

わたしは親に「NO」を言えるようになったのがつい最近です。(24歳)
でもね、親は決して「上」ではないし、「NO」を言う権利が誰にでもあります。

閉ざされた家庭という空間で、安心して子どもが過ごせるように、心休まる居場所であるように、自分にある権利や価値を感じ、自立していく土台を築いていけるように。

自殺率が異常にに高い日本。他国ではない子どもの自殺。あってはならないんです。親の精神が子どもの精神の土台。親から言われた言葉は思い込みとなり一生自分を縛りつけます。

子どもが安心して過ごせるようになるためには、まずは心が満たされている親を増やさなければならないということ。

あなたのことです♡

ということはまず身体が元気であること。身体が健康だからこそ、心の土台が整う。そして自分で自分を満たすことを身につけること。身体と心を自らコントロールすることがエッセンシャルオイルで簡単にできます。

もう一度言います。簡単にできるんです。

病気になる前にできることがあります。心に限界が来る前にできることがあります。体調を崩しても悪化する前にできることがあります。
しかもそれが簡単で早くて楽であること。ここにもドテラの価値があります。

何より、幸せを感じて生きてほしい。「生きててよかった」と心から感じてほしい。そのための手段の一つがドテラです。たった一つの手段ですが、心、身体、魂、経済の4つの健康を叶えることができます。

感覚を磨け

何事もですが、90%の人が一歩を踏み出せません。これはもう確率論です。

よく友達からいろんな相談をされます。
ドテラに限らず「やってみたらいいじゃん!絶対できるよ〜向いてると思う」と言っても、90%の友達が「いやいや〜」で終わってしまいます。

自分の気持ちを無視して、やる前から「やれない」と思い込んでしまっているんです。

人生は思い込み通りになります。

いやいやっ思い通りになんてならないよ

なんて言う人もよくいます。そうやって言う人はやっぱり思い通りになってないので、結局思い通りになってるんです。

なぜでしょうか。簡単な話です。
「できない」「やれない」と最初から決めつけてしまっている人は、思考も、言葉も、行動も何もかもが「実現する」方に向いていないから「やらない」のです。

「無理かもしれない」
挑戦や変化って不安ですよね、わかります。

でもね、まずは自分の気持ちを大切にするんです。
「楽しそうだな」「いいな」「やってみたいな」

あなたは思い通りにならないと自分の気持ちに蓋をする90%の人ですか?それとも自分の気持ちを大切にしてコツコツ良くなっていく10%の人ですか?

そんな感覚を磨いていきたいですね✨

背中を押して欲しかったらいつでも言ってください♡

1分1秒でも早くドテラが家庭にあってほしい。どれだけ助かることか、わたしはよくわかっているから。でも、決めるのはいつだってあなた自身です。

雪音のWhy doTERRA?
「生きててよかった」と心から感じられる人を増やしたい。「自分のために何をしてあげられるだろう?」を積み重ね、みんなで自由を手に入れる!

あなたはどうなりたい?

大袈裟ではなく、間違いなくわたしはドテラで人生が変わりました。

選んだのはわたし。過去のわたしにありがとうって心から思う。

ドテラがきっかけとなり、自分をコントロールしたり、段々と良くなって自然と不調を手放しました。ここに書いていないこともたくさんあります♩

自分の気持ちに正直に。自分の心を大切に。
あなたはあなたのために何をしてあげられますか?

具体的になぜ段々良くなることができるのか?動画があります。公式ラインよりお問い合わせください。

10月はこんなキャンペーンがやっています。

タイミングは人それぞれ。でもどうせ始めるならいちばんお得なときに始めてほしい。10月は1年でいちばんお得なキャンペーンがやっています。

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