香りでご機嫌♩雪音のプロフィール

    基本情報

    プロフィール

    • 山本雪音 (同世代にも雪音ちゃんと呼ばれることが多いです)
    • 1998年12月3日(26歳)
    • 自閉症スペクトラムの夫(28歳)
    • 息子3歳(2021年2月生まれ)
    • 岐阜に住む田舎者

    仕事

    • doTERRA Wellness Adovocate
    • Youtubeにて「香りでご機嫌」を発信
    • (元)発達障害の子専門家庭教師
    • (元)発達障害自立支援施設勤務

    コミュニティ

    全国各地に広がるアロマコミュニティを運営しています✨

    植物の力を取り入れ、ご自身やご家族のケアをしたいパパママが在籍。

    20~50代まで年齢は幅広く、関東から沖縄まで全国各地に広がるコミュニティです!

    身体の声を聞いて1滴のオイルを垂らす… シンプルでととのう暮らしをお伝えしています。

    下記を読んでいただければ、まだ26年だけど変な人生晒しています。笑

    1998年

    心臓に穴が開いた状態で生まれてきました。

    病名は詳しく知りませんが、普通とは違う血液の流れがあるとかで、肺炎や喘息になりやすそう。

    生まれてすぐ肺炎に。記憶はありませんが、3歳ごろまでは入退院を繰り返していたそうです。

    その後もずっと喘息で苦しむことになります。

    子ども時代

    幼い記憶には、自分の父の声も顔も、何一つ記憶にありません。

    母はいつも一生懸命働いていました。私が幼い頃はお店を経営しており、預けられることも多かったので母とのことをあまり覚えていません。

    5つ上の兄と常に一緒にいました。

    私が4歳になった頃、とある男性が現れました。この男性が私たちの育ての父親となります。見た目はチンピラでしたが(笑)優しい人でした。

    それから2年後、弟が生まれました。なんという可愛さ!愛らしさ!溺愛の極みでした。

    その後さらにポンポンと弟が生まれ、5人兄弟になりました。5人兄弟なんて珍しくて嬉しくて、自慢でした。

    私たち兄弟は、兄、私、弟3人、それぞれ父親が違います。

    私は当時、再婚とか血の繋がりとか、何も理解していませんでしたが、それくらい、父は私たちを大切に優しく育ててくれたと思います。

    人生の中で、人にも言えないようなことや苦しいことって、タイミングは違えどみんながあると思うんです。

    わたしはそれが子ども時代でした。

    母親

    母親の情緒が異常だったと思います。

    お前は可愛くない、勉強ができてもその性格じゃあな、生んだことを後悔した、縁を切ります、幻滅した、お前には感謝がない、生むんじゃなかった、養ってもらう分際で

    これらは常套句。もはや通常運転でなんとも思わなくなっていました。

    と言いつつも、こうやってスラスラ思い出すことができます。

    200通、300通と暴言ラインが鳴り止まない。文章によるあまりの暴言の連続で学校で泣いたこともあります。

    家事も歳の離れた3人の弟たちのことも、ほとんどわたしがやる。やらなければ理不尽にキレられる、何かを取り上げられる、外出禁止になる。

    それが嫌だから、バイトしながら家事をしながら弟のこともしながら完璧にやる。

    本当に仲良しな5人兄弟で、彼らの存在にすごく救われてきました。

    いつだって幸せだったし、自分が可哀想だと思ったことも一度もありません。

    兄弟がいて、助けてくれる友達やその親さんたちがいて、感謝でいっぱいでした。

    ここに嘘はありません。

    でも本当はやっぱり苦しくてしんどくて辛かったんだと思います。

    家庭内って閉鎖された空間だから、周りと比べられないですよね。異常なのか正常なのかわからない。

    しかも親のことってどうしようもないんです。一緒に暮らすしかないし、そこに帰るしかない。

    幼い頃からクールで大人びていたと思います。

    兄弟の前でしか自分を出すこともできず、割と静かで暗かったんじゃないかなと思います。いつも気が張っていてツーンとしていました。

    とはいえどうにかなる話でもないので、いかに怒られないように平和に暮らしていけるかがテーマ。

    私にとってはこれが日常であり常識でした。

    離婚

    そんな日常が大きく変わったのは、両親の離婚でした。

    家の中の常識が、母だけになってしまった。

    母は虐待されて育った人。

    人が集まるような明るさがありますが、実際にはすごくネガティブで、自信がなく孤独で、愛を探し求めている…私の目にはそんなふうにうつっていました。

    プラスかなり不健康な人でした。大病を患ったのをきっかけに、薬漬け。年々病名は増え薬も増え、一向に健康にならない母。

    薬ってなんだろう?健康ってなんだろう?
    漠然と疑問を抱いたきっかけでした。

    おかげで情緒が不安定で、感情的に何でも言います。

    それまでは父という常識も存在していて、守られる部分も多かったのです。

    同じく守ってくれていた兄も、離婚する少し前に結婚して家を出ていました。

    すべての攻撃が直接ぶつけられます。

    まだ高校生の私は家を出られません。
    父のように離婚して縁を切ることも親子にはできません。

    兄も父も定期的に電話をかけてきてくれるので話は聞いてもらえます。

    でも母の人間性が変わるわけではなく、状況は変わりません。

    それでも前を向けたのは

    子どもは無力なので、施設に引き取られたとしても、育つ環境は選べません。

    だったらね、「なんでわたしは…」なんて考えたって仕方ないんです。

    だからと言って、絶望したり諦めるんじゃなくて!

    どうやって生きていくかだよね。

    そんな毎日でも、私には可愛い弟たちがいました。

    年がかなり離れているため、何も知らない純粋無垢な笑顔や言葉にどれだけ救われたかわかりません。

    さらに私には、大事にしてくれる人がたくさんいました。

    ご飯がもらえない私に、コンビニの廃棄をくれるおばちゃん
    第二の家だから!と迎え入れてくれる友達のお母さん
    カラオケ行こ!と誘ってくれる友達
    こそっとお菓子をくれる先生
    雪音の好きなプリン買ってきたぞ!と渡してくれる塾の先生
    気にかけて電話をかけてくれる兄と兄嫁
    絶対に電話をかけ直してくれる父

    たくさん否定されてきたけれど、それ以上に肯定してくれる人がたくさんいました。

    手をあげられるのも幼い頃から当たり前でしたが、友達との会話でそれは違うと気づきました。

    高校のとき仲良しだった3人には特に救われました。

    何百通もの暴言LINEに耐えられず、家出したこともあります。

    そのとき原付で迎えにきてくれた友達が「恋話すっか〜」と深夜まで喋り続け、お母さんは何も言わずに入れてくれて、翌日お弁当を持たせてくれたんです。

    誰かのご飯なんて久しぶりで。

    美味しくて幸せで温かくて温かくて。泣いてしまいました。

    まあ、家出したんでその後ボコボコにされたんですけど(笑)

    本当に周りのおかげで生きてきました。心から感謝しています。

    不調だらけの女の子

    初潮からずっと生理痛が酷く周期も安定せず、毎回顔面蒼白な生理でした。

    喘息も年々酷くなってるような感じ。

    アレルギー、慢性鼻炎、花粉症、おりもの、頭痛…毎日何かしら不調。

    「予防のために吸入薬を毎日しましょう」と病院で言われやっていましたが、全然普通に喘息が出るという…シンプルになぜ?でした。

    バイトでお金を稼ぐ

    自分の足で立ち、ちゃんと自立していきたい

    バイトを始めます。

    なんとなく、卒業までに100万貯めようと決めます。

    スマホ代(当時7,000円くらい)や、教材費なども払いながら、無事に100万貯めました!

    小さい頃、「誕生日は〇〇がほしい!」とお願いしていました。

    しかし必ず「買ってやったのに」「〜円したんだぞ」と言われるので、お願いすることをしなくなりました。

    自分で働いたお金で、自分で何かを買ったり、夢のために使える。私にとっては自由であり、気楽。お金を稼ぐこと、働くことがとても楽しくて好きになりました。

    しかし、この100万は一瞬でなくなりました。

    大学の入学金や前期の授業料、教材費、スーツ代、岐阜は車移動が基本なため免許取得費用と車のお金…で呆気なく消えました。

    100万という金額は、高校生の私には夢のような大きなものでした。

    100万を稼ぐ大変さから感じた重みと、一瞬でなくなる軽さ、同時に知りました。

    奨学金を借りる選択肢は私にはなく、バイトしやすい授業カリキュラムになっている大学を選び、働きながら通学。

    バイト先でも人に恵まれ、お金を稼ぐ面白さも知りました。

    将来はお金をちゃんと稼いでいきたい。
    とも思いました。

    大学で人生激変

    虐待の講義で

    大学1年のある日、虐待の講義がありました。

    授業の最初にこんな注意がありました。

    「今日は虐待の話です。毎年この講義をすると、数名、顔色の悪くなる人が必ずいます。虐待を受けている人には苦しい話です。苦しくなったりしたら我慢せずそっと廊下に出て構いません。わたしは前から皆さんの顔がよく見えるので、すぐにわかります。また、学校在籍のカウンセラーもいるので、活用してください。」

    雪音

    へ〜〜〜そんなふうになっちゃう人もおるんやな〜〜

    わたしは基本呑気なので、ぜんぜん他人事でした。

    でもいざ授業が始まると、段々と息苦しくなっていきます。前を見れませんでした。なんとか耐えていましたが、涙目で長い講義を受けました。

    そこで初めて「虐待されていたんだ」と気づいたんです。

    いわゆる典型的な、性的虐待やボコボコにされるような身体的虐待しか知りませんでした。それらに加えて精神的虐待があります。話の中で、親の発言や行動、子どもの気持ち、状態がドンピシャで。まあ割とボコボコにもされていましたが、わたしはそれも「普通」だと思っていました。

    まさか自分が該当するなんて思ってもみなかった。

    でも今思えば、友達もその親さんも何も言えなかったんだなあって。わかりやすい身体的虐待ならまだしも、他所の家庭に口出しって難しいですよね。

    違和感は色々感じていたけれど、その違和感に「虐待」という名前がつきました。

    私はこれまで「頑張らなきゃいけない」「どうせ何も変えられない」といつも諦めていました。

    「逃げてもいいんだ」

    そうわかった途端、心が軽くなりました。

    私の思い込みだったんです。

    その講義後、「わたし大学やめる」と友達に告げ、担任的な人とアポをとって話をしに行きます。行動力(笑)

    「自分の人生を生きていいんだ」って思えたんです。

    大学を除籍

    理由を含め簡単に辞めたいことを伝えました。でも、ここから何時間も何回も話をする事になります。

    どういう幼少期を送ってきたのか、親さんはどんな言葉を使うのか、色んなことを聴かれました。

    真面目に他人に話したことがないので、段々としんどくなってきて涙が止まりませんでした。

    疲れるのが嫌で外では感情が冷めていたため、人前で感情が高ぶることがなかったんです。息ができないほど人前で泣いたのはこのときが初めて。

    何時間も話した後にこう言われます。
    「それは虐待ですよ」

    虐待を受けている子はみんな必ず、もう絶対に、「親には感謝してるんだけど」っていう前置きがくるの。雪音ちゃんもそうよね、「感謝してるんだけど」「わたしも悪かったんだけど」がないと話せない。

    無意識でしたが、本当にその通りで。「お前には感謝がない」「わたしに養ってもらっているくせに」と十数年言われ続けてきました。

    辛かったね、本当によく頑張って生きててくれた、ありがとう

    この言葉で完全に泣き崩れてしまって。

    話を聞いてくれる人はたくさんいて、私の人生は本当に恵まれていました。でもきっとナイーブな話題で周りも難しかったと思う。これまでの自分が救われた気がしました。

    実は小学生低学年頃だったかな、家でひとりだった時に○のうとしたことがありました。そのときに特別嫌なことがあったわけではなかった気がしますが、なんかふと突然、もう嫌だなって。楽になるのかなって。泣きながら自分に包丁を向けたんです。
    でもやめました。大好きな兄弟もいて、夢もある。わたしが○ぬ筋合いないし。早く大人になりたいな〜。

    誰にも話したことはないけれど、そんな過去もあったからか、泣いて泣いて嗚咽も止まらず。

    why doterra?
    わたしが初めて感じた「生きててよかった」です。

    話し合う中で色々教えてもらいました。

    • 「感謝してるんだけど」なんて要らない!それは子どもがいつか勝手に思うことであって親が感じさせることではないんだよ
    • 養うのも教育を受けさせるのも親の義務。子どもがそれを気にする必要はありません
    • 20歳になったら実家から戸籍を抜くといいよ
    • 母からのLINEなどは消さずに必ず残しておくこと

    大学の人間としての立場なら「休学にして、いつでも戻ってこれるようにした方がいい」ってやっぱり言うんだけど。ひとりの親の立場としてなら「大学にいたこと自体消えてしまうけど除籍という方法なら親の許可なくできるよ」って言います。

    親の許可を得て休学や退学は母が絶対に許してくれないでしょう。

    だって理由が母だし、絶対に納得しないでしょう。なのでわたしは除籍と決めました。

    心配してくれる人も、話を聞いてくれる人も、肯定してくれる人も、手を差し伸ばしてくれる人だっている。

    私は1人じゃない。だから何も迷うことはありませんでした。

    私は確かに虐待されていましたが、行動力があるのは安心感が大きいからだと感じています。

    母から劣等感を植え付けられそうになっても、罪悪感を押し付けられても、暴言を浴びせられても、それを上回る愛情をたくさんの人からいただきました。

    本当に周りに恵まれてきたから安心して生きている。生きる強さをくれて、みんなありがとう。

    19歳、家出する

    家出準備

    冒険の第一歩が家出だったんです(笑)

    幸いお金はちゃんと貯めていたので、アパートを契約。貯金は底を尽きましたが、家具家電を揃えられました。

    学校に行っているフリして不動産屋に行ったり、ゴミ袋に服を詰め込んで詰め込んで捨てに行くフリして新居に運んだり(笑)

    とても鋭い母でもさすがに気付けなかったようです。

    自分のお金で大学に行っており、奨学金も借りていないため、後腐れなく辞める決断ができました。

    家出直前に大波乱

    入居日と、実際に住み始める日はズラして計画。

    新居にものを運び始めていたとき、トラブルが起きました。

    おい、大学行ってないってどういうこと?

    朝起きた瞬間、怒り狂った母に迫られました。

    (心の声)なぜバレた?どこまでバレた?どういうこと???

    パニックでしたが冷静に返します(笑)

    どうやら大学から成績表のようなものが自宅に届いたようです。1年生だったので知らなくて想定外。

    お前毎日どこに行っとるんや

    そらそうなる。ブチギレの朝です。笑

    自然と除籍されるのを待っているところだったため、まだ在学中ではあったのです。

    適当なことでその場はなんとか終わらせましたが、印鑑と通帳を渡せと言われます。

    私が学費払ってきたるわ!!出せ!!いま渡せ!

    ここで拒否すれば隠し事があるのではと勘繰られると思い、とりあえず渡しました。

    家出だけはバレたくないので。笑

    でももう引っ越し費用などでほぼ空っぽ。どのみち払えません。

    ただもうすぐバイト代が入ってくるため、どうにかして取り返したいところです。

    そしてなんとかその場をやり遂げ、車に乗った瞬間に、今の夫(当時は彼氏)に電話。

    ヤバイ!ヤバイ!ひじょ〜〜〜〜にヤバイ!

    いまコレ書いてると笑えるけど、心臓飛び出そうだった(笑)

    家出の予定日は1週間後。
    いやいや、1週間も待てない。
    早急に家出しなければマズイ。

    ということで母に不登校がバレた2日後、急遽家出決行!!

    家出成功

    これがまた変な話だけど、うまいこと家出しました(笑)

    母の出勤を確認し、ドデカい車に爆速で荷物を詰め込み、通帳もなんとか取り返し、完遂!

    親に買ってもらったもの(大きい家具くらいだけど)は全て置いていきました。入居費用や最低限の家電などで40万くらいだったはず。

    家という場所が初めて、落ち着く所になりました。

    私にとっては、感じたことのない安心感でした。

    でも私はこれまでが無駄だったとは思いません。家事もお金の管理も、あの家で育ったから身についたからね。そこは結局家庭という環境のおかげです。

    なんでもおかげさまだよね。

    こうやって選択ができたんだもん。

    でもまだまだ19歳。まだ子どもの枠で、なんでも自由に選択できるわけではありませんでした。

    発達障害の彼との暮らし

    当時付き合っていた夫と、半同棲。めちゃくちゃ楽しかったです。

    ところが彼が私生活で辛いことがあり、精神的に落ちてしまいました。

    ここから人生二度目のどん底が始まります。

    彼は自傷や他害もあり、叫び、泣き、「死にたい」と言うばかりの毎日。

    人生で初めて、わたしも心を病んでしまいました。

    自分が自分じゃないみたいに、どこかで俯瞰してるんです。物凄いキレ方をして、胸ぐらを掴んで異常でした。

    なんとかしなきゃ。だけど自分にも余裕がありません。

    約1年間、本当にしんどかった。

    彼は精神科を受診したいと相談してくれました。

    想像通りの薬が処方され、長い待ち時間でも診察は数分。何かが解決されることはありませんでした。

    • 薬では根本的に変えられない
    • 根性で無理しても、ストレスが溜まり不調が増える一方

    私も彼も本当に本気で変わりたいなら違う選択をしなければ。漠然とそう感じていました。

    自分ビジネスを知る

    体調が悪くなったことでバイトに行けなくなりました。

    でも、お金を稼がないと生活できません。

    家でできることを探し、ひとつの仕事を見つけます。

    家で短時間で好きな時間に稼働。1日で3万円稼ぐときもありました。バイトのときの時給が15分くらいで稼げました。

    就職やバイトといったサラリーマンという選択しか知らなかった私は、自分ビジネスを知ったのです。

    家庭教師もしていたので、かなり短時間で30万くらいは稼いでいました。体調の悪い自分にとっては最高でした。

    自分たちが知らない選択肢があるんだ!希望が生まれた経験でした。

    20歳ドテラと出会う

    • 薬ではない選択って何があるんだろう?
    • どうやって良くなったら良いんだろう?

    仕事はネット上で見つけられたけど、不調や人生については検索しても答えは見つかりません。

    手段がなく、何も知らないんです。植物療法や自然療法存在さえ知りませんでした。

    「薬や何か優れた製品が治すのではなく、自分の身体は自分の身体の機能が治すものなんだよ」という言葉が、衝撃でもあり納得でもありました。

    アロマが嫌いだった

    私はアロマとか香水とかが苦手で、「臭い。以上」みたいな(笑)

    感覚が敏感なところがあ理、いい香りだなと感じるアロマ製品はひとつもなかったんです。

    でも自然が大好きでした。

    山登りによく行ってました。山の香りがすごく好き。

    お花も大好き。

    岐阜県民ははキャンプ、川遊び、BBQ大好き。自然の中で育ってきたんです。

    昔からハーブウォーターを作って飲んだり(笑)

    薬草も好き。

    薬草茶とか、薬草を使ったランチとかよく行ってた。

    薬膳も好き。

    高校生のときからそういうお店に行くことが多かったです。

    でもアロマに関してはすご〜〜く嫌悪感がありました。

    ドテラに出会う

    アロマ嫌いだけど植物大好きな私がドテラを知ったのは、友達が教えてくれたのがきっかけです。

    いちばん仲が良くて信頼してる友達だったからこそ、ちゃんと聞いてみようと思いました。

    まず香りが、臭くないことに驚きました。

    「アロマというテクニックよりも生活に答えがあるよ」という話がメインでした。

    そんなメーカーなかなかないですよね。

    今でこそドテラって知ってる人が多いけれど、7年前は本当に誰も知らなかったの。

    こんなすごいものが世に出ていないなんて意地悪だなあと思ったほど、感動しちゃいました。

    自然に惹かれるわたしがアロマが嫌いだった理由も、
    どうして薬を飲んでも治らないの?という長年の疑問も、

    その日すごく納得したんですね。

    問題を解決したい気持ちはずっとあったけれど、どれだけ検索しても「病院に行きましょう」しか書いてない。

    でもその日、原因も解決法もわかりました。

    「わたしこれ使いたいです!」

    そう言って登録して帰りました。

    変化

    簡単だし事典もあるし教えてもらえるから、届いてすぐ使いはじめることができました。

    自分をととのえることを最優先!
    当たり前じゃない?って思う。

    自分がととのってないのに余裕がないのにしんどいのに、他人の世話なんてできません。荒れている人に世話されても迷惑だから。

    彼のことも良くしたいからこそ、まずは自分のために使いました。

    酷かった生理トラブルは消えました。

    4㎝あった卵巣嚢腫も消えました。

    精神的におかしくなって60kgまで増えた体重は45kgに戻りました。

    自然と妊娠できました。

    毎日だった喘息もほとんどなくなりました。

    アレルギーや偏頭痛にも悩まされなくなりました。

    毎日の習慣をナチュラルな形で元の状態にととのえて戻す✨

    薬や我慢とは違う。
    「植物の力で変わっていく自分」を実感。

    そして今は、この可能性を共有し、伝統を教え伝える仕事をしています✨

    すべて、7年前の私には想像できなかった未来です。

    22歳ドテラを仕事に

    息子を出産し母になりました。

    コロナ真っ只中で世の中全体がピリピリしていました。

    そんな中、妊娠出産でストップしていた働くことを望み始めます。やっぱり働くことが楽しく、好きだから。

    子どもがいてもできること。FXなんかも2年間猛勉強。しかし余剰資金がないと厳しい。

    何かできること…
    子どもがいてもできる何か…
    資金がなくてもできること…

    あれ?ドテラできるじゃん?

    そう気づいた私は、早速始めちゃいました。

    インスタは苦手だし、友達も少ないし、そもそも健康に興味のある20代前半は少ないし…コロナの中、イベントは開催できない。じゃあ発信するしかない!そこでYouTubeを始めました。

    孤独に悩んでいた辛かった時期。手を差し伸ばしてくれる人はいても、病気を治してくれたり、お金を恵んでくれる人なんて現れません。自分たちでなんとかするしかない。

    だけどそこで、やり方や知識、術を知ったから、私は前進しました。

    選択肢があることで、選ぶことができる。

    時間も余裕もできる。

    ドテラと本質的な健康…これらを知らなければ、いまだにボロボロな毎日を送っていたはず。息子も生まれていなかったかもしれない。

    私が人生で初めて、ずっと継続できたのがドテラでした。

    私の変化はたくさんありますが、人とのつながりがもたらす変化がドテラの魅力です。

    エッセンシャルオイルを使っていただけではこうはなっていないと思う。

    一人じゃないから孤独じゃないから、自分が持っている力、知識、経験以上の結果が出せる。

    人と繋がることを選び、自分の経験も、他の人たちの経験も活かしていく。

    情報を得る手段、学ぶ手段、相談する手段、知恵を出し合って助け合えるのがコミュニティと思ってる。

    そんなコミュニティを目指しています。

    親子関係の変化

    家出後、もう何も気にせず生きたいと思っていました。

    同じ屋根の下に母はいないし、怒鳴られたり手を上げられることもない。ラインは相変わらず何百通と届くものの、通知オフにすればいい。

    快適さは段違い。
    でも結局は逃げただけ

    辛い暴言の連続も、最大限の否定も、私への執着も。

    気にしないと思っていても気にして泣いてしまう自分。何も変わっていませんでした。

    「嫌」そんな二文字も言えない。
    一緒にいると緊張する。

    一緒にいないおかげで攻撃は減ったものの、成人式も結婚するときも、母のおかげでいい思い出ではありません。電話でひたすらキレられ言い逃げ+鳴り止まない暴言LINE。

    このままでは一生怯えることになるから、何かを変えようと思いました。

    私は母にアロマタッチを不定期ですが始めました。

    そのときだけは、母も何も言わず黙っています。

    「小さい身体で色々背負ってきたんだろうな…」そんな感謝も生まれました。

    助けてと素直に言えず頼りかたも分からず、いつも1人で静かに泣いていた。手を当てるたび、そんな自分の気持ちも浄化されていきました。

    同じように、母も辛く孤独だったのだと思います。

    すると不思議なことに、境界線をつくることが段々とできるようになりました。

    つい最近ですが「嫌」と断ることもできました。

    結局わたしが問題でした。

    辛い現実を創り出しているのはわたしでした。私が恐れているだけでした。

    過去は変わらないし、母に言われた言葉も消えません。忘れたくても次々と思い出せます。

    それでも、私が強くたくましく生きてこられたのは、そんな子ども時代があったからです。

    母へのアロマタッチで未解決の気持ちも少しずつ浄化されていき、今では母もドテラを愛用しています。

    各地にご縁が繋がる

    SNS発信はそれなりに遠回りしてきました(笑)

    しかし継続することで結果はついてきました。関東から沖縄までひとりひとりへご縁が繋がりました。

    シンプルな仕事だし、シンプルに楽しい仕事。

    ドテラを始めた20歳のときには想像もできないような毎日

    奇跡とも思えるほど、大きく変わってきました。

    自分の辛かった過去が、強みになったり、誰かの役に立ったり…。

    それでメンバーさんやご家族が少しずつ変化していくことが本当に嬉しいです。

    メンバーさんの変化、体験談、素晴らしくて感動してしまいます。確信も深まります。

    でも何よりも、「自分の力で変われるんだ」という姿を見せてくれるメンバーさんそれぞれが素晴らしいと感じます。

    製品がいいのは当たり前。

    でもそれをどう活かすか?だよね。

    自分を変化させるのは製品ではなく、それぞれだもん。

    変化を実現できるなんて本当素晴らしいよね。最高です☺️

    治すと直す

    何か「痛み」を治そうと製品を使うのではありません。

    「痛みをもたらした暮らし」を直すために何を取り入れて、何を辞めていくの?

    取り入れるものはあなたが好きな物でいい
    よもぎ蒸しでもアロマでもハーブでもなんでも正解。

    やめることは我慢や取り繕うこと
    そんなのガラクタなの。

    「ガラクタなんて酷い!」って思うなら、「痛みをもたらしてる我慢や外面が宝ものなの?」って自分に聞いてみて。

    目に見えるものを治そうとしないでね。

    その背景にあるのはあなたの過去や暮らしだから。そこを見つめて真摯に向き合ってね。

    これからが楽しみ!って思いませんか?☺️

    あなたも変わることができる

    少しずつ、少しずつだけど、わたしも変化しています。

    すぐにあった変化もありますし、1年かかったこと、5年目になってやっと変わったこともあります。

    彼や母とのことがわかりやすい例だと思いますが、「自分が変われば相手も変わる」んです。この5年間で身をもって学んだことです。

    まず自分。

    身体や心などで良くしたい相手がいるのであれば、まずはあなたが良くなってください。
    大切にしたい人がいるなら、まずあなたを大切にしてください。
    幸せになってほしいと家族に願うのであれば、まずあなたが幸せになってください。

    相手はあなたをよく見ています。子どもは親の背中を見て育ちます。あなたの思考、言葉、行動で、相手は簡単に変わります。

    そして、わたしの過去からもわかるように、年単位でしか人は変わりません。でも逆に言えば、年単位で人は必ず変わることができるのです。

    年単位の努力は難しいと思うかもしれませんが、みなさん読み書きができて自転車も乗れます!子どもの頃から年単位の努力はできています。だから今もできます。

    年単位の努力なんて難しいものではなく、シンプルに年単位の習慣です!

    自分の力で変えられるんだよね。それってすごいよね。素晴らしいよね。最高だよね。

    楽しみだよね〜✨

    「安心」を手に入れる

    わたしは親に「NO」を言えるようになったのがつい最近です。(24歳)
    でもね、親は決して「上」ではないし、「NO」を言う権利が誰にでもあります。

    行動は「安心」がないとできません。安心は子ども時代に育まれるのがいちばんですが、いつからでも育んでいけます。

    親の精神が子どもの生きる土台。親から言われた言葉は思い込みとなり一生自分を縛りつけます。

    子どもが安心して過ごせるようになるためには、まずは心が満たされている親を増やさなければならないということ。

    あなたのことです♡

    まず身体が元気であること。そして自分で自分を満たすこと。

    エッセンシャルオイルで簡単にできます。

    もう一度言います。簡単にできるんです。

    病気になる前にできることがあります。
    心に限界が来る前にできることがあります。
    悪化する前にできることがあります。

    しかもそれが簡単で早くて楽であること。

    ここにもドテラの価値があります。

    知っているかどうかではなく、使えること。活用できること。簡単なこと。生きる知恵となること。

    その手段の一つがドテラ✨

    たった一つの手段ですが、素晴らしいツールとコミュニティです。

    思い通りの人生に

    自分の気持ちを無視している人がどれほど多いでしょうか。

    自分の身体の声を無視して苦しみながら頑張っている人がどれほどいるでしょうか。

    本当は変わりたいのに変わることができない人がどれほどいるでしょうか。

    人間関係に悩み、身体や心の痛みを感じながら生きている人
    経済的に苦しみ、未来を信じられない人
    間違いが怖く、安心して行動ができない人

    人生は良くも悪くも、思い通りになります。

    いやいやっ思い通りになんてならないよ

    なんて言う人もよくいるけれど、そうやって言う人はやっぱり思い通りになってないので、結局思い通りになってるんです。

    なぜでしょうか。

    簡単な話です。

    「できない」「やれない」と最初から決めつけてしまっている人は、思考も、言葉も、行動も何もかもが「実現する」方に向いていないから「やらない」のです。

    挑戦や変化って不安ですよね、わかります。脳にもホメオスタシスという働きがあるので、そう感じるのは自然なことです。

    「そのままでいいよ」って言うことから始めるんです。

    自分を否定したまま挑戦しても、悪い芽が育つだけ。

    肯定して肯定して安心して、やっと行動できるんです。

    逃げ腰な人、怒りっぽい人、弱気な人、強気な人、いろんなタイプがあります。

    でも誰が良くて誰かが悪いなんてことはなく、みんなそれぞれ理由がありました。

    家出した私のように、逃げないと命を断ちたくなるほど辛かったから、逃げ腰になったのかもしれません。

    生まれ持った資質だけでなく、過去生きてきた時間に理由があります。

    今あなたがどんな状況で、どんな悩みを抱えていて、どんな痛みを経験していて、不調や病気になっているとしても、

    「頑張ったね、よく生きてきたよ。」
    「あんたすごいよ、最高だよ。」

    そうやって自分自身に言うんです。

    「痛くなるまで、病気するまで、気づけなかったけど、それだけ頑張ってきたんだよね」

    そうやって自分をハグしたいよね。

    そして「いま気がつけた」ことに、拍手を送りたいよね。
    だってまだ命があるんだから。

    祖母は母を虐待し、孤独になり、60歳という若さで自ら命を経ちました。
    もう1人、とても身近で若いお父さんが命を経ちました。

    思い通りの人生は「自分を肯定すること」から始まるのではないでしょうか。

    why doterra?

    ドテラを伝える理由

    昔、日本では身近なものを使ったお手当てや養生といった暮らしのレシピである“おばあちゃんの知恵”が存在していました。

    そしてその知恵は“人から人へ”伝えられ、家族の健康を守ってきた歴史があります。

    時代は猛スピードで変化していますが、歴史や先人から学ぶことはたくさんあります。

    私にとって「ドテラを伝える」というのは、おばあちゃんの知恵を教え伝えるのと一緒です。

    時代が発展し、オンラインで遠方の人にも知恵を教えられるようになりました。素敵な時代に生まれてくることができました。

    エッセンシャルオイルは忙しい現代において、手間がなく簡単なツールです。

    多くの問題はシンプルに解決できます。

    複雑にしてしまっているのは私たち人間です。

    知識を増やすことが大事なのだろうか。
    できることを増やすこと大事なのだろうか。

    そう自問したとき、

    本当に大事なのは“楽しめること”が増えることと思いました。

    そのためには日々、気持ちよく過ごせるようにしていくことだよね。

    価値ある情報を共有していきたい
    助け合いたい

    そんな想いからドテラを通してコミュニティを作っています。

    メンバーさんからは日々様々な体験談が届きます。ちょっとした変化から奇跡のような変化もあります。

    その度ドテラの素晴らしさと可能性を感じます。確信になります。

    でも何より私が素晴らしいと思っているのは、メンバーさんそれぞれです。

    「自分を変えるための一歩を踏み出し行動」したから、その変化が起きました。

    その変化を起こしたのは、私でも製品でもなく、そのメンバーさんなのです!

    最高じゃない?すごくない?

    すべては手の届く範囲にあるんだもんね。
    手を伸ばしただけだよ。当然の結果でもある。

    誰もが未来はぜったいに明るいけれど、それは手を伸ばした人にしか訪れないものなのです。

    良くなる未来に手を伸ばす。

    それはとっても素晴らしく楽しく、人生に心地よさや安らぎをもたらしてくれると感じています。

    健康に役立つツール
    有益な情報を受け取れるコミュニティ
    自分で癒し治す方法のリレーション

    その先にある世界を見てみたいと思うから、ドテラを伝えています。

    たった1人でYouTube発信を始め、しばらく経ったとき、初めてメンバーさんができました。その年末にはメンバー数が2桁になり、その翌年は倍以上に増えました。

    全国各地につながるコミュニティはワクワクがいっぱいです!

    ワクワクをみんなに広げていきたいな✨

    香り体験会

    人生が宝もの

    視野を広げるために、10代の辛い時期があったのかなと感じています。

    いつも感謝の気持ちを持っていたことが、周囲に恵まれた理由でもあるなと思います。ひねくれずに生きてこられて、本当に支えてくださった皆さんに感謝しています。

    人間は1人では絶対に生きていけないと学びました。

    発達障害の彼との出会いは、様々な常識に疑問を持つきっかけになりました。他の道を探す力が備わったのは、彼のおかげです。

    YouTubeで発信したのも、インスタでユーザーが溢れかえっているなか穴場でした。YouTube内の検索で「ドテラ」と入力すると「雪音」と出てくるくらいに。

    絶対に嫌だ。良くしたい。その気持ちが、母になる変化を生みました。穏やかな暮らしができている今は、自分たちの選択と決断と実践でした。

    常に学び成長(変化)していく楽しさを知っているから、停滞が嫌いです。

    だから過去のことをズルズルとひきずっていません。こんなに楽しくて充実した毎日に変わったんだもん。だからこそ頑張ってこられたから。

    「勇気をもらいました」
    「感動しました」

    で終わらず、最高な生き方ができる人を増やしたい。そのステップを伝える仕事をしています。

    私の目標地点は

    • 楽しいこと
    • そもそも病気にならないこと
    • みんなで豊かになること

    私は日本という国が大好きです。でも蓋を開ければめちゃくちゃなことになっています。だからこそ、貢献したい。

    愛する我が子を想う気持ちは、みんな強く持っているはず。

    生きづらい社会を生き抜く力を養いましょう。

    我が子が健康でも、人を傷つける子どもも大人もたくさんいます。そんなニュースばかりです。

    「かわいそうに…」何もせず、呑気な感想言ってる場合じゃない。本当に明日は我が身。

    自分のことも、家族や友達、周りの人も、大切に優しくできる人が増えてほしいと心から願っています。

    だから、自分で自分を癒せたり、自分の機嫌を取れたり、満たされる毎日になるよう、私は伝え続けます。